【鳶ほりよ、りよ】

  (上)

 鷹だつて鳥だ、鳶だつて鳥だ、鷹に羽があるなら、鳶にも羽がある、鷹に嘴があるなら、鳶にだつて嘴がある。それに何だ、鷹は立派な籠へ入れられて、奇麗な御殿の中に置かれて居るのに、此の鳶は相変らずの野良鳥にして、誰も搆ひ手が無いとは、全体理窟の解らない話だ。
 と、斯う考へた一羽の鳶、如何も不平で堪りませんから、或日の事で、例の鷹の飼はれて居る、雲の上の御殿へ飛んで参り、もしや其辺に鷹が居たら、一番泣事を云つて、間がよくば御馳走の残余でも貰はうといふ、誠に汚い根性、卑劣、ヒレツと啼きながら、其処等を飛び廻つて居りますと、鷹は其声を聞きつけたか、やがて向ふの高楼から、ヌツと頸をさし出しました。
 「〆めた、居たぞ」と、鳶は其側へ進みより、
 (鳶)オイオイ其処に居るのは鷹さんぢやないか。
 (鷹)さういふお前は鳶さんか。
 (鳶)大した出世をしたものだナ、ほんとにお前位幸福者はありやしねエぜ。
 (鷹)何故又私が幸福だね。
 (鳶)などゝをつウ澄ましたものだ、高の知れた鳥の分際で、こんな立派な御殿の中に、而も高貴のお側に居るたア、何様な樹の枝で生まれたか知らねエが、ほんとにお前は果報者さ。ちつと其果報を、私にも分てくれねエか。
 (鷹)ハヽヽヽ、それでお前は幸福だと云ひなさるのか。 だが鳶さん、私が此の出世をしたのにも、それ相応な苦労は仕たので。お前が湿れ手で油揚をさらふやうな、気楽な事では出来やしないぜ。
 (鳶)はてね。それぢやアお前が出世をするには、矢張り苦労をしたのかね。
 (鷹)したともしたとも。知らずば噺して聞かさうが。さうよ、今から云へば去年の九月、而も中の七日の事だ。あの黄海といふ処で、日本の軍艦と支郡の海軍と、戦争を初めるといふ事を、風の便で聞き込んだと思ひなさい。
 (鳶)ウン成る程、私も其事は聞いたつけよ。
 (鷹)其処で私の思ふには、仮令此身は鳥なりとも、仝しく日本の土地に産まれて、日本の餌で命をつなぐからには、かういふ時こそ皇国の為めに、鳥相応の御用を達して、御恩の万分一を報じたいものだ、殊に世間の噂を聞けば、私等の仲間の鳩公は、戦争の場所でお使番をつとめ、又あの渡り者の雁ですら、列を乱だして敵の所在を知らせるとやら。して見れば此の鷹だつて、何ぞの御用に立たぬ事もあるまいと、其処で一番奮発して、住み馴れた古巣を飛び出し、黄海さして急いだが、何しろ何百里と隔てた処、而も其間は海原で、何処を見ても波ばかり、止まらうにも樹はなし、休まうにも岩は無し、流石の私も草臥れ切て、今にも波の中へ落ちやうとした事は、幾度あつたかしれやしない。
 (鳶)成る程それはせつなかつたらう。
 (鷹)だが折角思ひ立た事、此処で引返してはなんの役にも立たず。昔神武天皇様の時には、八咫の烏といふ鳥が、官軍の御先導をしたといふのに、私は鷹の身でありながら、これしきの処に閉口垂れて、官軍の御船に迫付かれぬとあつては、先祖の熊鷹に済まぬ話と、一生懸命に飛んで行た。するとまた聞きなさい、向ふの海の方に当つて、ドンドンと云ふ大砲の音だ。さてはもう初まつたか、此奴後れては大変だと、今は此方も死物狂だ、雲の如くに沸きあがる煙の中へ、驀地に飛び込んだが、何しろ初めてゞ勝手が解らないから、兎も角も一ト休憩して翼を息め、それからゆるりと御用を足さうと、彼地此地休み処を探して居る中、不図目についた高千穂艦の鷹が止まるには丁度よい名と、やがて其帆柱の頂辺に止まり、ホツと一息ついた時の嬉しさ。
 (鳶)シテ其の高千穂艦といふのは、日本の船か支那の船か。
 (鷹)エイ馬鹿な事を聞く奴だ、なんぼ私が草臥れたつて、支那の船なんぞへ止まるもんか。
 (鳶)ウンさうか、それから如何した。
 (鷹)すると早くも乗組の士官が見つけて、「アレアレ彼処に鷹が居る、高千穂艦に鷹が止まるとは、我軍大勝利の吉兆だ。誰か行てつかまへて来い。」と、部下の水兵へ号令をかけた。
 (鳶)お前を攫へろと云ふのだナ。
 (鷹)さうさ。しかし元より御用を勤める気で、態々やつて来た私だもの、攫へられゝば本望と、私は其儘帆柱に止まつて、ジツと攫へられるのを待て居た。
 (鳶)ヤレヤレ度胸の好い鳥だ。
 (鷹)其中に一人の水兵が、下から昇つて来たから、私は平気で、これはこれは御苦労様と、云ひなから音無しく攫まつて、やがて下へ降りて行た。すると下では艦長を初め士官も水兵も、此の大海に鷹とは不思議だ、何でも瑞兆に相違無い、芽出度い芽出度い、我軍大勝利帝国万歳、万々歳と、躍るやら歌ふやら大騒ぎ。何でもこれを逃がしてはならんと、それから立派な籠へ入れられて、三度の食事も小鳥や牛肉や、それはそれは大歓待よ。
 (鳶)畜生うまくやりやがつたな。
 (鷹)其中に戦争が済むと、直ぐに私は日本へ送り帰されて、其儘解放と思ひの外、勿体無くも此の御殿へ置かれて、栄耀栄華の今の有様。なんと鳶さん、由来を聞けば難有からう。
 と、皆まで聞かぬ中に、何思つたか鳶は、挨拶もせずに其処を飛び出し、コレサ待たねエかと云ふ間には、はや姿は見えません。

  (下)

 さて鳶は鷹の出世した由来を聞いて、さては彼奴は高千穂艦とやらの帆柱の上に、一寸止まつたばツかりで、あの幸福を得たのであつたか。さう云ふ事なら乃公様も、これから何処で帆柱を見付けて、出世の雲梯にしてやらうと、目的も無しに飛び出しましたが、何しろ黄海は何処だか、高千穂艦は何様な船だか、皆目勝手が解りません。
 こんな事ならあの鷹に、よく様子を聞いて置けばよかつたと、後悔しても追つかず、エヽまゝよ、かうして高い処から見おろして居れば、今に帆柱に出喰はすだらうと、呑気にも青空をば、フラリフラリとやつて来ました。
 すると、やがて目についたのは、大きな広い都会です。
 ミツシリと仲好さうに建つてまつた家根の瓦は、日の光線にキラキラと光つて、まるで波を見る様です。
 鳶は空から見おろして、早くもこれを海だと思ひ、
 (鳶)ヨー来たぞ来たぞ、黄海へ来たぞ。どうだい此の波の様子は、さぞ底は深い事だらうなア。
 元より大都会の事ですから、其処此処に煙筒が立て居て、其中から石炭の煙は、黒雲の如く立ち昇つて居ります。大砲の煙が…
 (鳶)ソレソレあの通りだ、どうだいすばらしい勢ぢやないか。(段々下へ降りて来て、車や馬車の音を聞きつけ)ヤア大変々々、鉄砲の音が大変だ。今が戦争の真最中だと見えるな。あんまり近傍へ寄て怪我をしちやつまらねエから、ウツカリ飛び込む訳にはいかねエ。なんでも早く帆柱を見付けて、暫時御休息と出かけなけれや…
 と、彼地此地見廻して居る中、やがて高い電信柱がありました。
 (鳶)〆めた、これだこれだ、ヌウツと高くなつてる処から、左右へ線の引張てある塩梅、此奴が帆柱に相違ない。高千穂艦だか何だか知らねエが、乃公は鳶の事だから、何も高千穂に限つた事はあるまい(と云ひながら其頂辺へ止まり)どつこいしよ、大層居心の好い帆柱だ。かうして居れば今に水兵が見つけて、直ぐに乃公を攫へに来る。其時にちつとも騒がず、ヘイ御苦労様と音なしく攫まりさへすれば、直ぐに後は小鳥に牛肉、栄耀栄華は望みの儘だ。難有エ難有エ。
 鳶は、得意に成て電信柱の上に止まり、誰か人の攫へに来るのを、今や遅しと待ち構へました。
  *  *  *  *  *
 (太郎)次郎さん次郎さん、君彼処の電信柱を見たまへ。
 (次郎)オヽ鳶が止まつてるね。
 (太郎)処があの鳶は、昨日も一昨日も止まつて居て、ちつとも飛んだ処を見ないンだが、腰抜ぢやあるまいか。
 (次)左様かもしれないね、如何だ試しに攫へてやらうぢやないか。
 (太)それがいゝ、それがいゝ。
 (次)待ちたまへ、僕が梯子をもつて来るから。と太郎だの次郎だのと云ふ、近所の悪戯児は、直ぐに何処からか梯子を借りて来て、鳶を攫へにかゝりました。
 上に居る鳶は、それと見て得意顔、
 (鳶)難有エ、とうとう見付かつたナ。…だが此水兵は、大層少さな水兵だなア。…これで乃公の体が持てるか知ら。オツト来た来た、ヤレヤレ御苦労様…ちと重たう厶いますよ。だが何故早く来て下さらねエ、私は一昨日から此処に止まつたぎりで、実は腹が減つて堪りませんから、早くソノ、小鳥と牛肉を願ひます。
 云つた処で相手は人間、元より言葉の通じさうな訳もなく、太郎は鳶を小脇に抱へたまゝ、急いで梯子を降りて来ました。
 (太)次郎さん、僕が生捕にしてやつた。
 (次)さうか、豪儀だ豪儀だ、鳶と云やア豚尾漢で、支那坊主の事だから、生捕にするとは芽出度い芽出度い。
 (鳶)ナニ芽出度い芽出度い? 其後が我軍大勝利、帝国万歳、万々歳で、それから小鳥に牛肉か。
 (太)逃がすな逃がすな、次郎さんしつかり持てたまひよ、僕が籠を持て来るから。
 (鳶)ナニ逃げやしませんよ。籠が来れば日本送りで、雲の上の御殿住と、万事お誹通りだからうれしい。
 云ふ中に太郎は、自分の家の納屋から、古腐つた汚らしい伏籠をかついで来、
 (太)さア籠が来た、来た。
 (次)此奴はいゝ、直ぐにこん中へ入れてやれ。
 (鳶)オヤ、大層汚い籠だぞ。これぢやアちつと恐れるナ、旦那籠が違やしませんか。
 (太)エイ、じたばたせずに音無しく這入れ。
 (次)鳶の生捕、捕虜だ捕虜だ。
 と二人は鳶の音無しくしてるのを、却て好い玩器の了簡、市中を引ずり廻しながら、手に持て居る竹切で、時々鳶を突き立てます。
 鳶は驚いたの驚かないの、
 (鳶)モシ旦那、イエサ水兵さん、これぢやア約束がちがやしませんか。
 (太)何を愚図々々云つてやがるんだイ。かう捕虜に仕たからにやア、殺さうと生かさうと、日本軍の勝手だぞ、ちやんと音無しくしてればよし、左も無ければ此の剣で、一ト突に突殺してしまふぞ。
 (鳶)ア 痛た、たゝゝゝゝ此奴は情無い事に成て来た。…こんな事なら音無しくして攫まるんぢや無かつたつけ。
 (次)やア鳶が泣き出しやがつた、ざまア見ろ、ざまア見ろ。
 (太)ナニ鳶が泣き出した。此奴は面白い、面白い。
 (次)ほんとに此奴は面白いぜ、例なら鳶トロ、ロと鳴んだが。
 (太)今日は何と云つて泣いてる?
 (次)アレ聞き給へ、鳶、捕虜、虜だ。