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理論書・研究書の出版が危ない
最近刊行された児童文学の理論書・研究書を振り返ってみると、小出版社の刊行物と自費出版が目立つ。年末年始にかけて私が著者から献本を頂いた内からだけでも、久山社から出ている「現代児童文化叢書」中の『「コドモノクニ」総目次』上巻(中村悦子・岩崎真理子編 96年10月)『〈現代児童文学〉をふりかえる』(佐藤宗子 97年2月)の2冊、漫画研究ではあるけれど『マンガの批評と研究+資料』(竹内オサム 97年1月 私家版)があげられる。他に出版されたものもほとんどが小出版社からの刊行物であり、その中にも商業出版という体裁をとりながら内実は自費出版というものもかなりあるらしい。児童書出版の分野で大手と言われる出版社は、この分野の出版からすっかり手を引いてしまったようだ。
また、日本児童文学学会編の「研究=日本の児童文学」叢書(全6巻 東京書籍刊)は、95年8月の第1回配本以来、後が続かない。既刊分の内容を見る限り、あまりほめられた企画でもないようだが、それでも中断は残念だ。
伝統ある雑誌「日本児童文学」も、今年の1月号限りで月刊を維持できなくなり、隔月刊になってしまった。隔月刊化により第3種郵便物の資格がなくなったこともあって、売れないから部数が減る、部数が減るから本屋の店頭から消えるという悪循環からこの雑誌が簡単に脱するとは思えない。商業出版である以上、当然の結果といえばそれまでだが、やはり寂しい限りである。
ほかに、企画段階や印刷・製本直前の段階で日の目を見ない企画も多いだろうと思う。実際、私が関係しているだけでも、企画段階で消えたものは無論のこと、著者校正まで済んでいるのに1年たっても出版されない企画が複数あるし、刊行されても印税未払いのものもある。
こうした事態に陥っている理由は簡単。雑誌を含む理論書・研究書の類は売れないからである。
もともと、児童文学研究という分野は、アカデミズムの体系からほぼ完全に無視されてきた。児童文学研究の分野ではおよそ研究の名に値しないクズ論文も未だに多く、伝統ある研究分野の研究者たちから軽く見られて仕方がないのも一面の真理だが、それにしても研究者のポストが不足している。だから、理論書・研究書を書く人も、そしてそれを読む人も、絶対数が少ないのである。昨今の大学では、国際××とか福祉△△とか情報○○とか称する大学・学部・学科の類を新設したり、既存のものをこうした名称に衣替えすることが大流行り。いっそ〈国際福祉情報大学〉でも作ったらどうかとさえ思うほどだ。加えて、子どもの数が減少を続けるので、子どもを学校で教える教師が不要になった。だから、国公私立を問わず教育・保育系の大学・短大は、その存在自体が軒並みリストラの対象になっている。既存の教員定員の維持まで危ないのだから、児童文学を専門とする教員のポストが減少する見込みはあっても、増加の見込みは薄い。ポストがないから、研究者をめざす学生も失業予備軍化する。近年、一部の女子大に児童文学専攻の大学院博士課程が設置されるようになったが、どんな奇特な学生が入学するのかと他人事ながら心配になる。
なお、今年の1月から国立子ども図書館準備室が正式に発足した。実は、現在の私の勤務の関係からこの構想に少しかかわりをもってしまったので、立場上あまり詳しく書きたくはないが、これまで国立国会図書館があまりにも軽視してきた児童書サービスの改善はかなり期待できるし、公共図書館とのネットワークも充実するだろう。しかし、研究の促進ということについてはほとんど明るい見通しがないことだけは断言しておく。
このように、理論書・研究書の不振は研究条件の不振の反映でもある。
追い打ちをかけるように、この4月から消費税率が引き上げられる。ただでさえ売れないゆえに高価格化している理論書・研究書にとって、税率の引き上げはきつい。しかも、消費率5%時代がそれほど長く続くとは思えないので、これから10%・20%時代をむかえたとき、児童文学の理論書・研究書の出版というものが、たして営業として成り立ちうるだろうか。加えて、書籍の再販価格制が廃止されるようなことがあったら、小出版社の営業に著しく不利になる。そうなったら、児童文学の理論書・研究書の出版は確実に息の根を止められてしまうだろう。
しかも、子どもの数の減少は児童書の売上減に直結している。研究対象である肝心の児童書の出版の存続自体が危ないのだから、話にならない。〈児童文学研究=今は滅んだ過去の遺物を研究する学問の一つ〉という図式は考えただけでぞっとするが、そうならないためにも研究の活性化は重要。これでは堂々めぐりだ。
かといって、アカデミズムの体系からほぼ完全に無視されているがゆえに、ただでも少ない文部省の科研費の出版助成金あたりの割り当てが、児童文学の理論書・研究書に新たに振り向けられる見込みもあまりない。
ただ、理論書・研究書の著者が経済的見返りを期待しない(あるいは期待できない)のであれば、今後、インターネットを活用した電子出版が盛んになるかもしれない。電子出版は自費出版に比較すると、考えられないほど安い費用で、ごく少数かつ特定の読者を対象とした出版が可能だからだ。児童文学の研究に志す者が誰でも自由に理論書・研究書を出すことができる時代というのは、決して遠い未来の夢ではない。近い将来、大学の教室で「来週の講義までにインターネット上の○○○という本を読んでくるように」という課題の出ることが当たり前になるかもしれない。しかし、それでも当分の間、電子出版本は紙に印刷された本という伝統的なメディアの利便性にはるかに及ばないことも事実である。
子どものための文学の理論書・研究書を軽視するツケは、皮肉なことに、それらを軽視した現在の大人の世代にではなく、現在及び将来の子どもの世代にまわされることになる。そうならないように務めるのが、現在の大人の世代の責務なのだが、見通しは明るくない。
【「本とこども」1997.3掲載】
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